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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(8) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆山裾に取り付いた町道はしばらくの間平坦路を進む 県道70号線&県道159号線の重複区間最大のカーブに設置された石造物は、県道筋から枝分かれする町道が近道であると訴える。近道と主張するからには、当然遠回りの道がないとおかしい。近道とは旧久米村への最短コースであり、その対象物と成り得る道筋はひとつしか思い浮かばない。 そう、現県道159号線筋である。上組から北上した県道は、山添橋を跨ぎ北西に舵を切る。そして小さな峠を越えて倭文川沿いへと滑り降りる。そこで国道429号線に吸収され、桑下より小高い丘を越え、ほぼ直線的に久米川伝いに到達する。言われてみれば確かにその道程は無駄に膨らんでいる。 |
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◆登坂を開始する上り坂の起点には小さな御堂がある 上組からダイレクトに桑下に抜ける道があるならば、その方が確実に距離は短くなるし、マクロ的視点でみれば国道53号線と国道181号線を、ほぼ直線的に繋ぐルートの出来上がりだ。果たしてそんな都合の良い経路が存在するのであろうか?存在する。いや、正確には“存在した”とするのが正しい。 明治の地図を紐解くと、桑下を経由し津山往来と出雲街道を繋ぐ路は、ほぼ直線的に描かれている。その事実に気付くのは容易でない。何故なら峠名が記されてはいないので、誰もが一発で理解出来るほどの大胆なルート変更でない限り、路線の切り替えを見抜くのは至難の業だ。 |
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◆チャリだと立ち漕ぎ必至な坂の途中に石造物を捉える 朝から晩まで地形図を眺めていられる暇人なら話は別だが、そうでない限りはなかなか気付き難い。僕の場合は実走にて地形的に峠との確信を持って挑んだから、たまたまピンポイントで的を絞る事が出来たが、そうした何等かのきっかけがなければ、峠の存在そのものを疑う事すら出来ない。 明治時代から現代までの地図を重ね合わせ、パラパラ漫画のようにページをめくると、ある所で路線が切り替わっている事に気付く。1/5地形図だとほんの些細な相違に過ぎないが、津山市と美咲町の市町界を跨ぐ峠道が、一時代前は同じ稜線を1km強南西側に位置する事を突き止めた。 |
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◆コンクリ製の座台上に構える文字が判読不能な石造物 一時代前の峠道は、現行ルートと全く干渉する事のない別の経路を辿って行政界を跨いでいたのだ。なるほど、どうりで現道の路傍に旧道の残骸が見当たらない訳だ。旧道は全く別の場所に眠っている。恐らくそれが近道である 近道=旧道 上組のカーブは今でこそ急カーブが本線となっているが、その昔は派生する町道が本筋であったとすれば、そちらの方が無理のない線形をしており、大幅な地形改変により状況が一変している様子が窺える。 |
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◆向かい合う二軒の住宅の合間を擦り抜ける町道 津山往来を離れた古道筋は北西に舵を切り、上組より先もそのまま北西に延びていた。そう考えると町道に架かる影田橋も、明治或いは江戸時代から代々引き継がれた由緒ある橋梁と見做す事が出来る。パッと見は何の取り柄もない小さな橋であるが、100年超の歴史が背景にあるのはほぼ間違いない。 その事はカーブに設置された道標や、町道の道中に備わる石造物群からしても疑う余地がない。初めから設置年が刻まれていないか、それとも風化で判読不能となってしまったのかは定かでないが、沿道に点在する石造物の年代は把握出来ていない。それが江戸なのか明治なのかさえ判断が付かない。 |
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◆対峙する二軒の家を抜けた直後にT字路にぶつかる ただ旧道の起点となるであろうカーブに鎮座する道標には、久米村近道とあるので、それだけは新道に切り替わった後に設置されたものである事は、ほぼ間違いない。影田橋には橋名以外の情報は何一つ無いのだが、先代或いは先々代が木橋であった姿は容易に想像が付く。 道中には人家がポツリポツリと点在する程度で、人っ子一人見当たらない現状は寂しい限りであるが、この町道が一時代前の本通りであるならば、数多くの人畜が行き来する非常に賑やかな路であったと思われ、その頃は現状と180度異なる環境にあったのかも知れない。 |
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◆T字の交点は四差路になっており本線は左折 まだ山道の入口にも達していないが、坂道を駆け上がった先に待つ四差路で迷いが生じる。路が四方向に分かれているのだから、道標のひとつくらいあって然るべきだが、現場にはそれらしきものが見当たらない。 方角的に左折が本筋である事は間違いないが、それが明後日の方向に反転する路なのか、それとも左折して直進なのかが判断が付かない。とりあえず左折してみると、その先で崩壊して久しい無残な姿の石垣を捉えた。 十日乢9へ進む 十日乢7へ戻る |