教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>旧道>岡山>杉ヶ乢

杉ヶ乢(9)

★★★

杉ヶ乢(すぎがたわ)の取扱説明書

出雲街道は僕等の想像を遥かに超える意外な路の遍歴を辿っている。その事に気付かされたのが2013年で、奇しくもその年は60年に一度の遷宮に重なる。勢いで四十曲峠を極めるかと思いきや、そうは問屋が卸さない。ひとつの路線を極めるという事は、それだけで本を一冊出せてしまうくらいのボリュームになるのだと、故小谷氏は教えてくれる。久世⇔津山間の峠史については一通り調査を終えているが、久世より西側及び県界を跨いだ鳥取県側については、過去に通り抜けた例があるというだけで、我々はまだ何も知らないに等しい。出雲街道筋の久世以西にまともな峠があるのかという疑念の声が聞こえてきそうだが、答えは“ある”だ。それも複数に及ぶ峠の連続だ。もう一度言おう、我々は出雲街道についてまだ何も知らないのだ。四十曲峠は出雲街道の最難所に過ぎない。そう悟った時、これまで見えなかったものが見えてくる。杉ヶ乢は我々の既成概念をぶち壊すには丁度いい物件だ。徒歩道に力車道に馬車道に自動車道、それらがぎっしりと詰まった杉ヶ乢で出雲街道のお浚いをしつつ、可能な限りその本質に迫りたい。

 

DSC01581.jpg

◆山間部の三桁県道にしては幅員が広過ぎるR321

中橋⇔県道321号線

中橋を渡った直後の対岸では、国道313号線が垂直に横切っている。その交点の正面には、歩道付二車線の快走路が延びており、県道321号神代勝山線を名乗るその路線は、杉ヶ乢を越え神代地区で国道181号線にぶつかる。

その峠道が新庄川伝いの新道が成立する以前に使われた道、即ち国道181号線の旧旧道にして出雲街道なんである。その事は地図を眺めれば一目瞭然で、南に大きく膨らむ現道に比し峠道は約半分の距離で勝山と神代を繋いでいる。

DSC01582.jpg

◆歩道が一時代前の県道で幅員は3倍に拡幅されている

勝山と神代のミクロ的視点のみならず、勝山と米子のマクロ的視点に於いても、県道321号線筋を辿る方が効率が良いのは、誰もが納得し得るはずだ。但し高速走行が可能な現代は、対向車を意識せずに済む国道を経由する方が、狭隘県道を辿るよりも遥かに楽に感じられる。

従ってドライバー&ライダーが積極的に峠道を利用する事はない。しかし徒歩通行が当たり前の時代はその逆で、新庄川伝いの路は大方の者にとって選択肢には成り得なかった。最短距離を重んじる江戸時代は尚更で、その頃の神代⇔荒田間は、徒歩道サイズの小径が辛うじて通じているに過ぎなかった。

DSC01583.jpg

◆一時代前は中橋同様2m幅の小径が細々と続いていた

その為新道に主役の座を明け渡した後も、杉ヶ乢越えの旧街道筋を多くの者が行き交い、山道と川道が完全な世代交代を果たしたのは、昭和40年代後半と見做すのが妥当だ。川道の全線舗装化並びに二車線化が完了した時点で、峠道の存在意義は急速に薄れ、事実上の移管が完了した。

中橋と県道321号線は同一線上に位置する。正確を期せば中橋と対を成しているのは、県道321号線の進行方向左側の歩道で、元々は中橋同様幅員2m前後の小径が細々と続いていたに違いない。その狭隘路が拡張され路の両側に歩道を備える二車線の快走路へと刷新されたのだ。

DSC01585.jpg

◆気になる狭隘路が進行方向右手よりぶつかってくる交点

神代方面から勝山へ滑り込む場合は、県道が旭川を跨がずT字路で国道に吸収されるかのように映る。即ち峠道の起終点が国道との接点にしか見えないのだが、その逆だと宿場内のT字路より中橋を渡った道路が、そのまま峠へ向け真っ直ぐに延びている線形がはっきりと捉えられる。

それが新庄川沿いの新道に切り替えられる以前の出雲街道であるのは間違いないが、事はそれほど単純でない。出雲街道が一筋縄とはいかない事は重々承知しているが、勝山でも路の遍歴が二転三転している事に、この時の僕はまだ気付いていない。ただ峠道の途中で怪しい路線がある事に気付く。

DSC01660.jpg

◆駅前通りを抜けた直後の旧道と旧旧道が交わる十字路

杉ヶ乢へ向かう県道が二車線をキープしている際に、右手よりぶつかってくる1.5車線を捉え、その交点に御地蔵様が鎮座しているのを、この僕が見過ごすはずがない。結果的にそれがど豪い事になるのだが、その前に昭和黎明期に完成したと思われる新庄川沿いの路を、ざっくりとみてみよう。

中国勝山駅の駅前商店街を抜けた十字路を、旧国道は直進し鳴戸橋で旭川を一跨ぎする。鳴戸橋は勝山大橋が完成する以前のメインルートで、町史は昭和30年現在の鳴戸橋を幅員5.5mの鉄筋コンクリート製のT桁橋と称している。そこから察するに現在の鳴戸橋は明らかに付け替えられている。

DSC01661.jpg

◆十字路の先に勝山大橋の成立前に主役を張った鳴戸橋

十字路の先に待つ鳴戸橋に、昭和中期の香りは漂っていない。パッと見鳴戸橋は近代的な橋で、橋上は普通車同士の擦れ違いを許す上に、2m幅の歩道を備えている。旧道になってから車道の一部を歩道に転用したとすれば、昭和30年頃に計測された幅員5.5mと橋幅は一致する。

橋梁の構造はそのままに化粧を施されたのであれば、鳴戸橋は半世紀超の長期運用という事になるが、どこからどう見ても平成産としか思えない近代的な造りで、リフォームではなく根本的に付け替えられたと考えられる。勝山大橋が架設されるまで国道181号線は、鳴戸橋で旭川を跨いでいたのだ。

DSC01662.jpg

◆鳴戸橋は橋幅の半分弱が歩道に転用されている

地元の中高年以上であれば、この橋がかつて国道であった事を覚えているであろうが、若年層は物心付いた時から町道橋であるから、川上から中橋・鳴戸橋・勝山大橋と何で三本もの橋が至近距離に架かっているのかと不思議に思うかも知れない。

確かに現状だけを見れば橋が無駄に多いという意見もあろう。しかしそのどれもが出雲街道の橋であり、時代によって必要不可欠な存在であったのは間違いなく、親子三代の橋が撤去されずに生き残っているのは、非常に稀なケースと言える。

杉ヶ乢10進む

杉ヶ乢8へ戻る

トップ>杉ヶ乢に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧