教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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杉ヶ乢(6)

★★★

杉ヶ乢(すぎがたわ)の取扱説明書

出雲街道は僕等の想像を遥かに超える意外な路の遍歴を辿っている。その事に気付かされたのが2013年で、奇しくもその年は60年に一度の遷宮に重なる。勢いで四十曲峠を極めるかと思いきや、そうは問屋が卸さない。ひとつの路線を極めるという事は、それだけで本を一冊出せてしまうくらいのボリュームになるのだと、故小谷氏は教えてくれる。久世⇔津山間の峠史については一通り調査を終えているが、久世より西側及び県界を跨いだ鳥取県側については、過去に通り抜けた例があるというだけで、我々はまだ何も知らないに等しい。出雲街道筋の久世以西にまともな峠があるのかという疑念の声が聞こえてきそうだが、答えは“ある”だ。それも複数に及ぶ峠の連続だ。もう一度言おう、我々は出雲街道についてまだ何も知らないのだ。四十曲峠は出雲街道の最難所に過ぎない。そう悟った時、これまで見えなかったものが見えてくる。杉ヶ乢は我々の既成概念をぶち壊すには丁度いい物件だ。徒歩道に力車道に馬車道に自動車道、それらがぎっしりと詰まった杉ヶ乢で出雲街道のお浚いをしつつ、可能な限りその本質に迫りたい。

 

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◆歩道付き二車線の快走路と文句無しの規格を有す現道

御覧の通り今日の国道181号線は、大型車同士の相互通行を許す二車線の快走路である事に加え、見渡す限り法面や落石防護壁が延々と連なり、オマケに場所によっては歩道まで備えている。加え運転中は意識し難いが、新庄川の氾濫に対応すべく路面は旧道時よりも嵩上げされている。

これ以上何を望むのかというくらいの整備状況で、敢えて願望を言うならば、追越車線や登坂車線の拡充であろうか。しかし時折車両が行き交う程度の交通量からして、それを望むのは酷というものだ。遅い車が少々減速して後続車に道を譲る事で、大方の問題は解決してしまう。

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◆北海道と同じく高速を使うのがアホらしい70キロ巡航路

道中にきつい勾配は一切認められず、Gが掛るほどの急カーブも見当たらない。勝山以降信号機も片手で足りる程で、現在の国道181号線は余程の交通革命が起きない限り、大きく手を加えられる事はない。恐らく50年後、100年後も現状と大差ないものと僕は考える。

この状況が成立したのは今から40余年も前であると橋梁群は示唆する。大型車の相互通行許すべく幅員は拡げられ、同時に舗装化が成されたのだ。それ以前は目立った処理が施されない荒削りの路で、昭和40年代後半に道路状況が一変した事実を、荒田に現存する旧国道は我々に訴える。

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◆視界前方に新旧道の交点である神代の集落を捉える

大方の古道は現道の下敷きになっているから、意識して周囲を観察しなければ、旧道の存在にはなかなか気付かない。国道181号線は法定速度を軽く超過する高速走行が可能な分、ドライブ&ツーリングモードでは遺構を見逃がすのがオチで、現場は流し見で消化出来るほど甘くはない。

巨大な掘割を抜ける荒田の旧国道をスルーした場合、昭和40年代後半に確立された路をひたすらトレースする事になる。それくらい国道の大部分は完璧に上書きされている。もしも二つの橋梁を設けずに旧国道を拡張していたならば、改修以前の道程がいかなるものであったかのかを確かめる術はない。

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◆南へ大きく膨らむR181とショートカットするR321の図

しかし現実として旧国道の一部は、ほとんど手付かずのまま取り残され、昭和47年末まで供用された国道181号線を、そっくりそのまま堪能する事が叶う。後年の舗装化は残念でならないが、それ以外のほぼ全ては原型を留めている。その起源は昭和黎明期に遡る。

荒田の旧国道は昭和47年末の姿を直視出来るのと同時に、新庄川に沿う新道の開削時期の様子をも垣間見ている事になる。何故なら荒田の旧道は開削以来ほとんど手付かずのまま今に至っているからだ。軽自動車同士がまともに擦れ違えない狭隘路は、間違いなく昭和初期の道路規格にある。

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◆昭和7年の時点で現国道の原型が出来上がっていた

この界隈に自動車が出現したのが大正の半ばである。その頃は新庄川に沿う道があるにはあったが、車道は荒田橋でL字に折れ曲がり、月田を経て大佐へと続く現県道32号線筋の原型が認められるに過ぎず、荒田橋より先は人道らしき頼りない小径が細々と続くのみである。

これは昭和7年補正、同21年発行の地形図で、作備線の中国勝山駅から岩山駅までの延伸開業に合わせて測量されたものである。そこには現国道筋が本線として描かれている。現道との相違点は荒田の緑と青の橋が描かれていないのと、勝山大橋の姿が見当たらないくらいのものである。

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◆国道181号線と県道321号線の交点は新旧道の交点

月田駅が昭和5年12月に開業しているから、鉄道の開業後直ちに測量が成されたのは間違いない。その際測量隊は、新庄川に沿う出来たてホヤホヤの新国道を目の当たりにしている。発破で岩塊を吹っ飛ばしたあの堀割を、陸地測量部の一行は確実に通り抜けている。

そしてこの交点に辿り着いた彼等は、新国道がいかに遠回りしているのかを肌で感じた。旧道に比し新道はほぼ倍の移動距離を強いられる。今でこそ若干遠回りしても楽なコースを選ぶが、それは他の動力に委ねられるからであって、頼れるのが自身の足となれば話は別だ。

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◆旧道の起点となるJR姫新線中国勝山駅前の五差路

勝山と神代を結ぶ従来の路に比し、約2倍の距離を歩かされる新道は、全く以て人力には向いていない。そのコースはあくまでも車両にとって都合の良い道で、万人に歓迎されるような道ではなかった。

鉄道やバス等の公共交通機関が確立されつつあるとはいえ、まだまだ徒歩通行が当たり前の時代であるから、新道の開通を待ち侘び手放しで歓迎したのは、一部の“持つ者”に限られたのではないかと僕はみている。

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