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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>杉ヶ乢 |
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杉ヶ乢(4) ★★★ |
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杉ヶ乢(すぎがたわ)の取扱説明書 出雲街道は僕等の想像を遥かに超える意外な路の遍歴を辿っている。その事に気付かされたのが2013年で、奇しくもその年は60年に一度の遷宮に重なる。勢いで四十曲峠を極めるかと思いきや、そうは問屋が卸さない。ひとつの路線を極めるという事は、それだけで本を一冊出せてしまうくらいのボリュームになるのだと、故小谷氏は教えてくれる。久世⇔津山間の峠史については一通り調査を終えているが、久世より西側及び県界を跨いだ鳥取県側については、過去に通り抜けた例があるというだけで、我々はまだ何も知らないに等しい。出雲街道筋の久世以西にまともな峠があるのかという疑念の声が聞こえてきそうだが、答えは“ある”だ。それも複数に及ぶ峠の連続だ。もう一度言おう、我々は出雲街道についてまだ何も知らないのだ。四十曲峠は出雲街道の最難所に過ぎない。そう悟った時、これまで見えなかったものが見えてくる。杉ヶ乢は我々の既成概念をぶち壊すには丁度いい物件だ。徒歩道に力車道に馬車道に自動車道、それらがぎっしりと詰まった杉ヶ乢で出雲街道のお浚いをしつつ、可能な限りその本質に迫りたい。 |
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◆簡易ゲートより先の路はノーメンテで荒れ放題と化す 現在は通行止となっているこの通路が、歴史の表舞台に姿を現すのは、元号が昭和に代わってしばらく経った頃である。陸地測量部の昭和7年補正、同21年発行の地形図には、この旧道筋が鮮明に描かれているのに対し、大正15年補正、昭和2年発行の地形図にはまだ影も形も無い。 大正15年の再調査時に存在しなかったものが、昭和7年の時点では既に運用されているという事は、この旧道筋は昭和黎明期に敷設されたとみるのが妥当である。事実この経路は最狭区でも3m以上を有し、真っ当な相互通行こそ叶わないものの、現代の大型車を楽々と通してしまう規格にある。 |
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◆旧国道は舗装済であるがパっと見は未舗装に映る 因みに僕の手元にある昭和43年発行の市販の地図には、この経路が国道181号線として描かれており、二つの橋梁を介す新道は予定線すら描かれてはいない。青い橋には銘板がひとつも認められないが、対を成す緑の橋には昭和47年12月竣工の文字が認められる。 青い橋と緑の橋のどちらか一方が先行して架設される事に意味は無く、普通に考えて前後の橋及びそれを繋ぎ合せる新道は、ひとつの工区として同時に建設されたと考えていい。即ちこの旧道区間に対する新道は、昭和47年末に橋が完成し、同48年の春頃には一般供用を開始したに違いない。 |
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◆カーブの大方が膨らみを利して四輪同士の交換が叶う 枯草の下はどこまでもアスファルトが続いており、路線切り替えが成される前に舗装化が完了したように見える。まるでこの旧道が国道を名乗っている時分に改良工事が行われたかのように映るが、実はそうではないと市販の地図は訴える。最後の最後まで砂利道のままであったのだと。 地形図からは読み取れないが、市販の地図では舗装・未舗装の有無が色の強弱で示され、その当時の舗装化がどの程度進行していたのかが手に取るように分かる。原本となる地形図は文字通り地形全体が調査対象であるのに対し、道路地図は対象物を道路に特化している。 |
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◆どう見てもダート国道にしか見えないが旧道は舗装済 当然そこにはドライバーが知りたい情報がぎっしりと詰め込まれる。それは地図に描かれる路が車両の通行を許すか否かであったり、大型車の通行の可不可であったり、道幅の広狭であったりする訳だが、中でもドライバーの関心が高い情報は、舗装済か否かであったのは間違いない。 今でこそ砂利道は人里離れた山奥でもそう簡単には有り付けないが、一時代前は未舗装路というのが当たり前であった。この路線が現役の際は思いっきりダート国道で、舗装化が成されたのは市道に降格した後であると古地図は訴える。今その道は瀕死の窮状にある。 |
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◆通行止の原因となっている今後も除去されない大落盤 落盤によって四輪の通行はすっかり過去のものとなっている。旧道沿いに人家が皆無であるから修繕される可能性は低く、管理者が行き来出来るように歩道幅は人為的に確保されているが、巨石を除去する気はさらさら無いようだ。通行止の理由がまさにこの落盤である。 巨石の撤去に予算を割くくらいなら、他に廻すという行政の思惑が見え隠れしている。撤去するだけならまだしも、今後も再発を繰り返すかも知れない脆い壁面に、多額の費用を投じて崩壊を阻止する事に何の意味も無い。少なくとも行政はそう考えている。この路は単なる捨て駒でしかないのだ。 |
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◆人為的に倒木等は除去され歩道は確保されている 旧道のほぼ全てが斜面をL字に削った片流れであるのに対し、この崩落地点だけは左右共に垂直壁が聳え立っている。これは川面へと突き出る岩塊を豪快に堀割ったものであり、昭和初期の敷設であるから手掘りではなく、ダイナマイトで吹っ飛ばしたに違いない。 壁面は左右共に法面処理が施されておらず、岩盤が剥き出しのまま今の今まで放置されてきたようで、路上にはトンクラスの巨岩が無造作に転がっている。これほどの大崩壊は稀であるとしても、サッカーボール大の落石は日常茶飯事だったのではないか、そう思わずにはいられない。 |
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◆隧道であっても不思議ではない超巨大な掘割 現場が現場だけに、年がら年中落石に悩まされていたのではないか。見てくれ、この巨大な掘割を単車も巨石も物凄く小さく映る。被写体が手の平サイズに映るのも、掘割が余りにも巨大過ぎるからだ。 全くの素人意見だが、掘割ではなく隧道とした方が安全だったのではないかと思えてならない。しかしどんな峠でも超巨大な掘割でぶち抜いてしまう岡山県の風土が、ここに風穴をあける事を良しとしなかったのかも知れない。 杉ヶ乢5へ進む 杉ヶ乢3へ戻る |