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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>杉ヶ乢 |
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杉ヶ乢(3) ★★★ |
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杉ヶ乢(すぎがたわ)の取扱説明書 中国地方の屋根を乗り越え、陰陽を繋ぐ主要連絡路の一角を担う国道53号線は、城下町津山を堺とする山陽側・山陰側共にそれなりの難所が待ち受けるが、一般的なイメージとして南は辛香峠、北は黒尾峠の両者が、他の追随を許さぬ最難所である事に異論はないだろう。その両横綱を筆頭に、中堅クラスの峠が前後する訳だが、大樹の陰に隠れ大方は世間の耳目を集める事とは無縁だ。枯れ木も山の賑わいと言ってしまえばそれまでだが、ここ杉ヶ乢も全国区の黒尾峠の前には霞んで見える雑魚峠で、正直煮ても焼いても食えそうにない取るに足らぬ物件だ。しかしどのような興行にも必ず前座があるように、大物を引き立てるスパイス役として杉ヶ乢の存在は欠かせない。本丸を攻める前の常套手段として、まずは外堀から固めよう。 |
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◆元国道とは思えない山道の現状 繰り返すが道中に人家は皆無である。峠より2本の枝道が延びてはいるが、津山側鳥取側共に集落の影も形も見当たらない。だいたい峠を始めその前後には、人が住むのに必要な更地の絶対数が足りていないのだ。まともな離合箇所さえ無いのだから当然と言えば当然だが。 ただ僕は並走する人工物に若干の期待を抱いていた。それが旧道沿いに点々と続く電柱だ。山間部の送電線は、往々にして道路や鉄道とは異なる独自路線を確立し、急崖斜面をものともせず登攀してしまう事も珍しくないが、この峠においてはほぼ道路に並走する形で、障害を克服していた。 |
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◆鳥取側の棚田は現役 ライフラインが通じているという事は、この先に人家の一つや二つはあっていい。峠の前後には集落或いはその痕跡があるかも知れない。かつて人が住んでいた形跡さえあれば、バスが往来していた可能性は飛躍的に高まる。そうあって欲しいと願いつつ峠を目指した訳だが、期待は見事に裏切られた。 鞍部を跨ぐと急激に視界が開け、津山側よりも一回り大きな谷間の底には現役の棚田が連なり、野生動物が近寄り難いほど人の気配を存分に漂わせている。但しそこまでだ。この場所はあくまで食料の生産拠点であり、生活圏ではない。主はせっせと下界から通い詰めているに過ぎないのだ。 |
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◆トラバースを解消した改良区 見渡す限り屋根のひとつも見えない谷間を見る限り、この峠に路線バスの幻影を追い求めるのは無謀なのかも知れない。そう思えてきた。勿論この峠を克服せねば、それより先は無い。杉ヶ乢路線バス伝説が空振りに終わるという事は、この先に待つ黒尾峠の公共交通機関の灯が消える事を意味する。 下り途中で今更ながら離合箇所が出現するも、時既に遅しといった感じだ。しかも路面を精査するとその膨らみは、山肌をなぞるトラバース区間を後年ショートカットすべく埋め立てた際に、副次的に発生する旧道の残骸を待避所として活用したもので、有史以来供用されているものではない。 |
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◆緩やかなカーブが続く鳥取側 まともな離合箇所が無いというのは致命的で、ほんの数分で越せる峠とはいえ、当時は砂利敷きであっただろうから、今以上に時間を要したのは間違いなく、絶対的な交通量の違いはあれど、この山道一本で全てを賄っていたのだから、対向車に遭遇する場面も多々あったはずである。 そもそもトンネルの掘削理由は、1.5車線あるかないかの山道では、完全にキャパを超えてしまった事にある。増大一途の車両を捌くのは日増しに厳しさを増し、大型車同士が八合えば一巻の終わりとなる現場の様子を見る限り、最後はパンク寸前であったと推察される。 |
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◆大型車一台の往来がギリギリの狭路 普通車同士さえまともに離合できないこの峠道に、そもそも大型車が日常的に往来したのかどうかさえ疑わしい。トンネル開通以前は大型車のドライバーに敬遠され、地元のオート三輪など極々限られた車両が細々と往来していたに過ぎないのではないか?そんな疑念を抱き始めた頃、そいつは現れた。 視界前方には待ちに待った第一人家がポツンと佇んでいる。もしもこのシチュエーションが峠の前後であったなら胸キュンものだが、ここまで来ると手の施しようがない。残念ながらあの家の先からは、聞き慣れた高速車両の爆音が鳴り響き、その付近がほとんどゴールである事を示唆している。 |
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◆峠道の沿道に唯一存在する人家 峠道を挟み込むようにして構える二軒の家屋は、厳密に言えば旧道沿いに位置する。しかしもうそこはほとんど現国道との接点であり、売り地であれば間違いなく国道沿いの物件と謳うであろう至近距離にある。正確を期せば、沿道に人家は存在した。但しそこはトンネルの入口でもあるのだ。 果たして僕が辿った山道は、奈義トンネル開通以前の旧道なのだろうか?旧道であるとすれば国道の峠道である訳で、そうなると大型車が行き来した可能性も高まり、しいてはバスも峠を越したのではないかと再考の余地もあるが、その点について近所のおばちゃんが洗い浚い喋ってくれた。 |
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◆新旧道交点(鳥取側) あれはトンネルが出来るまで使ってた道だわ。トンネルが出来た後もしばらくは砂利道だったと思う。あの頃はほとんどの家が車を持ってなかったから、学校へ通うのも職場へ行くのも皆バスに乗ってあの峠を越して行ったの。 この糞道杉ヶ乢をバスが越えた! という事はもしかしてもしかするぞなもし!臨戦態勢は整った。本丸落城へ向け視界良し! 杉ヶ乢2へ戻る |