教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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千升乢/千升峠(20)

★★

千升乢(ちますだわ)の取扱説明書

どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。

 

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◆ヘアピンの突端で枝分かれする養鶏業者へ通ずる支線

現役を退いた後にセンターラインを削ぎ落したのであろうか?アスファルトの中央には断続的に切れ目が見て取れる。そこにかつては白線が敷かれていたものと思われる。内側に敷設されたガードレールもそのままに、撤去を免れた道路標識も相俟って、ヘアピンの旧道筋は現役宛らの様相を呈す。

今この瞬間に前後から大型車が現れても何等不思議ではなく、来ないと分かっていても横断するのに左右を確認してしまう始末。現在の皆無に等しい極小交通量では贅沢過ぎる仕様であるが、晩年はそれなりにドライバーに苦労を強いる魔のカーブであったのは間違いない。

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◆ヘアピンカーブの突端より緩めの勾配で峠へ至る旧道

何せこのヘアピン区はこの峠道唯一のU字カーブであり、往来するドライバーが最も神経を遣う急所であったのは想像に難くない。山襞の一つを利用して大きく回り込むそれは、距離損を覚悟して勾配を緩くする車両を通さんが為の通路、まさに馬車の馬車による馬車の為の馬車道である。

この明治由来の馬車道の名残が垣間見えるヘアピン区は、ほぼ完璧な二車線に改められているため、パッと見は馬車道云々と言える状況にない。あくまでもヘアピンという線形から往時の様子を理解する他なく、想像力逞でなければ全く以てつまらない在り来たりな快走路に過ぎない。

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◆ヘアピンの反転途中に馬車道時代の膨らみを捉える

それでも折り返しの道中左手には一時代前の路跡が認められ、パイプゲートにて車両の進入を拒んでいるが、半ば藪に埋もれつつ待避所としてその姿を晒している。旧道筋は今でこそ綺麗なUの字を描いているが、その昔はカーテン状の山肌を忠実になぞり、波を打つように蛇行していたであろう様子が窺える。

最終形態は完全二車線の快走路と化し、それでも使い勝手が良くないと烙印を押され、国道から町道へと降格の憂き目に遭う。本線から完全に切り離されたヘアピンの旧道。それがぐるりと回って高度を稼ぎ、再び本線に合流すると峠はもう目と鼻の先だ。新旧道の合流地点から頂上の鞍部をはっきりと捉える。

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◆新旧道の交点より目と鼻の先に位置する鞍部を捉える

逆方向を鑑みれば鞍部を通過した途端に迎える最難所のヘアピン。それは加茂側より峠を越して来た者にとって、いかに手強いものであったかは想像に難くない。峠を越えてほっと一息付いたドライバーに浴びせる容赦なき洗礼。全く明治の人はとんでもないトリップを仕掛けてくれたものだ。

晩年のヘアピンに対するドライバーの嘆き節が聞こえてきそうだが、実はそれ大きな誤解である。ヘアピンの勾配は緩く脅威たり得ない。本当の敵は急ごうとする己自身であり、ある程度の速度で通過しようとするあまり、Gが掛かってはみ出し・横転・スリップという予期せぬ事態に至るに過ぎない。

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◆登坂車線と歩道を加えた実質四車線の幅広の切通し

これは想像の域を出ないが、馬車や人力車の時代は、誰もそこを脅威とは感じなかった。脅威どころか安全安心な幅広道の出現に、感謝すらしたのではないか。やろうと思えば100キロの猛スピードで駆け抜けられる現代人の驕りと、そうさせてしまう贅沢過ぎる仕様にある点を見落としてはならない。

見てくれ、この事実上の四車線規格に値する巨大な掘割を。二車線+登坂車線+歩道の計四車線に及ぶハイスペックな切り通しを、ゆっくり走って下さいと懇願する方に無理がある。今や車一台がやっとの狭い切り通し時代など見る影も無い。この峠は幾度に亘り掘り下げられ、何度改修を重ねたか知れない。

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◆ヘアピン区の下流域より枝分かれする支線の先を探る

ある日突然現在のような形になった訳ではない。幅員一車線程度の狭い掘割に始まり、二車線化が成され、歩道が備わり、登坂車線が加わりと、過去に幾度となく改修を積み重ねた結果、今のフルスペックになっている。現状のみで視ればその時分のドライバー心理を読み誤る。

その時々の鞍部やヘアピンの線形バランスは適切に保たれ、現代人の我々が想像する以上に快適に行き来出来たのかも知れない。無駄に距離を稼ぐヘアピン区がゼロベースで敷設された明治の馬車道由来である事は理解した。となるとそれ以前の路がどこをどう伝って鞍部に達していたのかが気になる。

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◆インチキ二車線の幅広道が横這い傾向で峠方向に続く

これまでの経験値とセオリー通りであれば、江戸道由来とあらば真っ先に直登というシナリオが頭に浮かぶ。だが果たして鞍部に向かって直線的に登坂する古道など存在するのだろうか?少なくとも僕自身は見た事も聞いた事もない。

そりゃそうだ、何せ情報過多の時代に千升乢に関する情報が少な過ぎる上に、深掘する者もいないから手探りで見極めるしかないのだ。ここから壁コップ執念の聞き取り調査が始まる。結果この先に待つ伝説の路と対峙する事となる。

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