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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>千升乢 |
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千升乢/千升峠(1) ★★ |
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千升乢(ちますだわ)の取扱説明書 どういった理由かは定かでないが、地図上から峠名が抹消されるケースがある。この峠も然り、いつの頃からか名無しの峠となっていて、原本たる地形図に記載が無いものだから、当然市販の地図にも反映されず、結果現場を往来する現代人は峠名を知らぬまま行政界を越して行く。実際に行き来する者の肌感覚では、勾配のきつい坂が待つ紛れもない峠道なのだが、紙上から本来の呼称を消し去られて久しい峠を意識する者は皆無に等しい。有耶無耶にされつつある現状とは裏腹に、沿線にはこれ見よがしに旧道の痕跡が見て取れ、スルーするのが罪深き如し存在感を醸し出している。この峠道に埋もれし史実に光を当て、本来得られるべき正当な評価を下すのが、我々に課された使命と考える。行き交う者の誰もが旧道の存在に気付きつつも、情弱により無関心を装わざるを得ない現況に終止符を打つ。 |
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◆峠道の起点となる県道76号総社三和線との交点 市販の地図で千升峠の名が刷られている物は貴重だ。昭和発行の地図では当然の如しその名が確認出来るが、平成になると記載される物とそうでない物が混在し、いよいよ令和になると完全に消し去られている。それもそのはず、大元となる国土地理院の地形図から、峠名が完全に抹消されているのだ。 千升峠と記載されているものについても、実はその呼称が正確とは言い難い。昔の文献を紐解くと千升乢となっていて、千升峠を名乗るようになったのは近代である事が分かる。ここ岡山では乢と付く峠は然程珍しくないはないが、やはり全国区でみると少数派であり、後年標準的な表記に改められたのだろう。 |
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◆急激な高低差で標高を一気に稼ぐ黒谷池と黒谷ダム それにしても古来旅人の指標ともなっていた峠名を消し去るのはいかがなものか。高速移動が当たり前となった現代に於いて、峠自体が拠り所ではなくなった点は否めない。但し移動体が現在位置を把握する上で湖沼・滝・古樹等と並び、峠は不動不変のランドマークたり得るものとして外してはならない存在だ。 用無しとなったから省くという短絡的な発想は理解に苦しむ。僕が国土交通大臣だったら直ちに全国の峠名の見直しを指示し、抹消の憂き目に遭った峠名を復活させるのみならず、あらゆる文献を紐解き可能な限り表記する。どれだけ遡っても掘り下げても何も出てこない場合は、新たに命名する。 |
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◆峠の直前は登坂車線が設けられるかなりの急勾配 近代に乢や垰等から峠へと改められたものは、片っ端から元の状態に戻した上で再表記する。また専門家会議を開き無名だった峠に名を冠する事で、行き交う者に親近感を与え知名度を上げる。名称は基本的に一般公募とし、専門家会議に掛け閣議決定を経た後公布、国交省より通達される見通しだ。 大臣の意向としては岡山の県民性を考慮し、可能な限り慣れ親しんだ乢を推奨したい。例えば「素敵乢」や「嫌乢」のような地域に無関係且つ何の脈絡もないワードでも許容する方向で調整。万が一専門家により却下されたとしても、大臣の権限を最大限生かし事務方に忖度をさせるので大丈夫。 |
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◆四車線幅で広く拓かれたオープンカットの頂上 「これ、本物乢」の場合「此本物乢」へと若干の微修正が加わる可能性もあるが、原形を大きく損ねない程度に抑えるよう指示。「俺、見たん乢」のケースではカンマのみ外させて頂き「俺見たん乢」と原本に限りなく忠実な形で採用。「明日も残業乢」の場合は一切の改変無きまま原文での採用とする。 「やっぱ行くっきゃないん乢」や「やっぱ出たん乢」や「やっぱ俺天才乢」等の“やっぱ”系は乢との相性が良く、ほぼ無審査で通過且つ選考委の満場一致と相場は決まっている。沢山の公募を頂戴するに当り、敢えて条件はゆるゆるにしている。ふざけているように映るかも知れないが、至って真面目な議論である。 |
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◆現在進行形で改良が行われている加茂側の下り坂 国策として観光立国を掲げる以上、外国人に興味を持ってもらうには、官学民が一体となって奇抜なアイデアを駆使し、やれる事は何でもやるという気概を持たねば、この国の行く末は実に危ういものがある。そういった観点から本来あるべき峠名を抹消する事は、国家の行く末を左右する由々しき事態と憂う。 たかが峠、されど峠である。誰もが生き急ぐ忙しい時代であるから、すっかりナビが定着して久しい現代に於いても、今どの地点にいるのかを正確に把握するのは重要な要素だ。一時代前はドライブインが目印となっていたが、それも時代の要請に翻弄され道の駅に取って代わられた。 |
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◆ほぼ峠下に位置する国道484号線との交点 コンビニやガソリンスタンドを目印にしたところで、去年までそこにあったものが、今年は影も形も無いという場面は多くの人が経験済で、基本的に人工物は消耗品であるがゆえにアテにならない。やはり全幅の信頼が置ける通過点としては、近代以前より旅人の目印となっていたものが望ましい。 そういう意味で千升峠の存在感は本来際立っていて然るべきだが、当の現場はびっくりするくらい峠らしさに欠ける。一言で言えば「なんもない」、もっと酷い言い方をすれば「しょーもない」という表現がぴったりの全く以てパッとしない頂きという印象で、行き交う者のほぼ全てが現場を峠と意識しない。 |
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◆峠道の終点となる岡山県道31号高梁御津線との交点 これでは地図から抹消されても致し方ないと妙な納得をしてしまう程で、峠名がナビや地図に現れない現実を鑑みれば、丘陵地帯に数多ある丘越えの一つに過ぎないという解釈も成り立つ。だが動力源が自身の足となるチャリと徒歩組だけは知っている。そこが紛れもない峠である事を。 もっと言ってしまえば足を止めた時のみ見えてくるものがある。それがこの峠道の辿った前時代の足跡、即ち旧道の存在である。それに気付くか否か、知るか知らぬかで、天と地ほどの差が生じる“なんもない峠”の真髄に迫る。 千升乢2へ進む |