教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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畑ヶ鳴峠(26)

★★★

畑ヶ鳴峠(はたごなるとうげ)の取扱説明書

世の中には地図に刷られている峠名と現地に掲げられている峠名がマッチングしない案件が存在する。国道484号線の畑ヶ鳴峠もその一つだ。ひとつの峠に複数の呼称があるのは然程珍しい訳ではない。峠の前後左右で名称が異なるのは何等不自然ではないし、どれが間違っていてどれが正しいとも言い切れない。世に出回っている地図の原本となる国土地理院の地形図は、2018年現在山の神峠と謳っている。その為市販の地図はそれに従い山の神と刷り込んである。現場は取るに足らない平易な峠で、未来永劫歴史の道踏査報告書で取り扱う日は来ないであろう、そう思い込んでいた、つい最近までは。ところが無視する訳にはいかない驚愕の事実に直面する。全ては知る人ぞ知る秘境カフェ「ナップビレッジ」に始まる。ここに立ち寄ったが最後、単なる峠越えに終始しないコアな世界へと引き摺り込まれていく。本来は酷道として名高い畑ヶ鳴峠であるが、その殻を打ち砕くに十分な破壊力を秘めている同区の真髄を御覧頂こう。

 

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◆県道66号線にぶつかる交点の先に旧県道筋が見える

その経路は確定して久しく今更覆らない。しかし時計の針を逆戻しすると、幾つかのルート案を巡って激しい攻防が繰り広げられていた事実が、議事録等から読み取れる。すったもんだの詳細は割愛するが、最終選考に円城経由が挙がっていた事を、現代人の大方はほとんど知らずにいる。

時を戻そう。明治29年現在、福渡から加茂へダイレクトに繋がる車道は影も形も無かった。正確を期せば人道以上車道未満の路は辛うじて存在した。それが畑ヶ鳴峠と加茂市街地を結ぶ点線道、所謂人力車のみ通行を許す力車道である。実質1.5m前後の細道で、当然四輪車の通行は叶わない。

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◆県道66号線の旧道を南下すると県道31号線にぶつかる

大正年間になると材木の切り出しや炭の出荷で林道が枝葉を伸ばすものの、集荷場にして船着場でもある加茂を起点としたもので、車道が峠を越えるまでには至らない。戦後しばらくは自動車が峠を越せなかったという初老の証言に加え、昭和30年代に入っても尚古地図は頑なに円城経由を本線としている。

多少のタイムラグはあるであろうが、戦後国土地理院の実地調査が入った時点で、畑ヶ鳴峠の西側は人道以上車道未満の中途半端な道路が存在したに過ぎない。だからこそ当時の地形図では自動車の通行が厳しい難路として、実線ではなく点線表記にて描かれているのである。

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◆県道31号線を西進し県道57号線との交点を左折

今でこそ峠の西側は全線二車線の快走路と化し、改修以前の窮状など想像すら出来ないが、少なくとも昭和30年代前半頃までは、峠を下り始めた直後に右へ跳ね上がるアドベンチャーコースが本線で、その当時唯一無二の自動車の通行を許す車道であった事実について、最早疑う余地はない。

福渡より畑ヶ鳴峠を越えた路は、アップダウンを繰り返しながら円城へと辿り着く。そこから更に高みを目指し上田東地区を抜け、下土井地区へと滑り込み、現県道66号線筋にぶつかる。県道372号線という枠組みではその交点がゴールとなるが、大局的にはそこはまだ単なる通過点でしかない。

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◆県道57号線は約300mで国道484号線に吸収される

というのも下土井地区も、その先に待つ県道66号線と県道31号線の交点の加茂市場にしても、県道同士がぶつかる交通の要衝でありながら、役場や学校等の拠点となるランドマークが一切見当たらないのだ。福渡より峠を越してきた者はどこを目指す(目指した)のか?その答えがもう少し西進した先に待つ。

県道66号線を南下すると宇甘川沿いを併走する県道31号線にぶつかる。それを西進するとやがて左手に巨大な建造物が視界に飛び込んでくる。賀陽中学校並びに下竹荘小学校の近代的な校舎がそれだ。周辺には郵便局、呉服屋、精肉店、スーパーが建ち並び、そこが一大拠点とすぐに理解出来る。

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◆短い県道57号線の旧道に架かる古風なコンクリ橋

かつての人々が一里塚の如し拠り所の一つとして認識していたであろう事は間違いない。そこから派生する県道51号線には旧道筋が併走し、昭和39年に架設された旧橋も現存する。すっかり裏路地と化した寂れた路に覇気は感じられない。一時代前の路は1〜2車線幅で強弱を繰り返す。

錆び錆びのT字標識がこの先に待つ交差点の存在を示唆する。交点の角には石州瓦の元旅籠らしき古風な建物が佇む。現在は一切のアナウンスが成されていないが、かつてこのT字路は信号機が設置されてもおかしくはない交通の要衝であった。というのもそこから備中最大の城下町へと繋がっているからだ。

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◆備中最大の城下町高梁へと繋がる旧道のT字路

当然道路のグレードもそれなりで、止まれの停止線は元国道484号線、T字より先の直進も元国道484号線、旧橋を含む手前の路が元県道51号線と錚々たる顔ぶれだ。この形状はそっくりそのまま30m程スライドする形でバイパスに置き換わっている。それ以前はこのT字路で全ての車両を捌いていた。

大型車が一発で曲がり切るには相当なテクが要求されるであろう狭いT字路、90度に折れ曲がる国道、この交点こそがかつて国道経由地を巡り覇権争いを演じた経路の着地点に他ならない。畑ヶ鳴峠よりこのT字路にかけては、三候補が名乗りを上げる。筆頭格は古来横断線として機能する円城経由である。

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◆国道に成り損ねた幻の国道経路甲乙案を含む全体図

そこに畑ヶ鳴峠と加茂川町役場を繋ぐ新道と、古来供用される宇甘川沿いの県道とを繋ぐ乙案が示される。ところが実際に国道の肩書を掻っ攫ったのは、県の肝入りで開発整備された後発の吉備高原経由というダークホースであった。

加茂市場経由こそ叶わなかったものの、乙案は加茂⇔畑ヶ鳴峠間が国道化を果たしている。それに対し円城経由の甲案は掠りもしない。だが仮に吉備高原開発云々以前の昭和30年代に横断国道計画が推進されたならば、円城経由も無きにしも非ずという僕の持論は、未来永劫微塵も揺るがない。

 

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