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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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若松峠(6) ★★ |
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若松峠(わかまつとうげ)の取扱説明書 若松峠、市販のどの地図を広げてもそのような名称は刷られてはいない。勿論国土地理院1/25000スケールも例外ではない。北海道の峠を網羅する三浦宏氏のリストからもその名を拾い挙げる事は出来ない。果たして若松峠なるものは実在するのだろうか?答えはYESだ、それも国道の峠である。恐らく多くの者が気付かぬうちに素通りしている。僕もその一人だった、ある古写真を見るまでは。トンネルあるとこ旧道アリ、若松峠は道路業界の原理原則を再認識させてくれる尊い存在で、日常的に行き来する道にも何がしかのエピソードが有る事を教えてくれる。また煮ても焼いても食えなさそうな雑魚も調理次第でどうにでもなる案件で、取り扱う者の腕が試されるデリケートな物件でもある。だが若松峠から目を逸らす事は出来ない。太櫓越へのトライアル的立ち位置から、道路業界に身を置く者として避けては通れない。今宵知らないようで知っている若松峠の今昔を徹底追求する。 |
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◆頭上がかなり明るくなり頂上が近付いている感がある 水上は自身の大いなる野望を満たすべくこの難所に照準を定め、その時が来るのを今か今かと待ち望んでいた。若松越えの新道竣工を虎視眈々と狙っていた男、それが乗合自動車業を営む水上利次郎である。時は昭和初期、東海岸の国縫より順調に延伸を重ねる瀬棚線に彼は追い詰められていた。 地元沿線住民のみならず近隣の各市町村にとってそれは悲願の一大イベントであったが、一部の人間にとっては悪夢のような出来事でしかなかった。渡島半島横断線での馬車業者との熾烈な客争奪戦に勝利したのも束の間、鉄道の敷設によって今度は自身が追われる立場となった。 |
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◆一般林道と一線を画す必要にして十分な数の待避所 道中には花石越えと稲穂越え(美利河峠)の二つの難所が立ちはだかる。例え工事が順調に進捗したにしても、想定外の予期せぬ事態等によって遅延は十分有り得るし、場合によっては頓挫というのも無きにしも非ずだ。ライバル経営者であればそのような自身の都合に良い解釈&楽観論に浸りたくもなる。 しかし非情にも工事は着々と進み、最初の難関である稲穂嶺を制し、陸蒸気の警笛が内陸部の花石で鳴り響く。この時点で水上は悟ったに違いない、横断線からの退場を余儀なくされるのは最早時間の問題だと。鉄道が花石越えを果たし今金まで延伸すると、乗合自動車業は風前の灯である。 |
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◆若松峠を語る上で絶対に欠かせない特別なヘアピン 省営自動車発足時の五カ条にあるように、所詮バスは鉄道の補完役でしかないのだ。その悲しい現実を水上は痛烈に感じたはず。しかし彼はそこで諦めなかった。瀬棚線の今金延伸を待たずして次なる一手を打つ。早期開業に漕ぎ付けた東海岸線に比し、西海岸線は後手に回っている。 かなりの長期に亘り鉄道の敷設は実現しないし、少なく見積もっても自身の代は安泰であろう。この読みは今日現在西海岸線が不成立である点に加え、未来永劫鉄道建設が日の目を見ないであろう時代背景からも、西海岸線の将来性を問う水上の先見性はそれなりのものがあったと見ていい。 |
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◆豪雨等で砂利が洗い流されて地肌が露出している 彼は間髪入れずに久遠線の申請をする。若松越えは大正7年現在瀬棚⇔若松間は乗合馬車が幅を利かせており、水上はまたしても乗合馬車潰しに加担した格好だ。僅か3年で江戸の駕籠が駆逐されたように、時代に見合わない乗り物がいつまでも優遇されるほど世の中は甘くない。 大正年間は安泰であった乗合馬車業界にも、遂に来るべき時が来たというだけの事であり、バスにしても鉄道にしてもそれぞれが追う立場でありながら常に追われる立場でもある。その瞬間は勝者であってもそれが永遠に続く事など有り得ない。渡島半島横断線でのすったもんだは近隣の誰もが承知している。 |
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◆法面の高さが背丈程に縮まり稜線近しを予感させる ドンコマ⇒馬車⇒自動車⇒汽車と明治25年の横断線成立から矢継ぎ早に庶民の足が入れ替わり、昭和初期には時の頂点に君臨する鉄道が制圧するのを民は目の当たりにする。しかし頂上決戦を制したかの如し国鉄瀬棚線も昭和後期に廃止されて久しい。時勢によって乗り物は栄枯盛衰を繰り返す。 昭和初期に於ける瀬棚⇔若松線の馬車業者も然り、圧倒的なスピードを誇る自動車に客を奪われ、その後汽車に覇権を奪われた横断線の前例があるだけに、“その日”がいつ訪れるのか戦々恐々としていたのではないか。追う立場であり同時に追われる立場でもある水上の心情は複雑だ。 |
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◆パッと明るくなり頂上付近に達したが視界は開けない 横断線の競合馬車に勝利したのも束の間、最終的には自身も引導を渡されるという苦い経験がある。半強制的に退場を余儀なくされる者が、いかに厳しい状況に置かれるかを身を以て知っている。そこで氏が下した決断は、敗者たる馬車業者への一定の配慮であった。 瀬棚線の全線開通と水上自動車の久遠線連絡乗合バスにはタイムラグがある。僅か一年強に過ぎない短期間ではあるけれど、僕はそこに水上の武士の情けを感じずにはいられない。だってだってだよ、普通に考えれば瀬棚線の開通と同時に久遠線を運行開始するのがベストに決まっている。 |
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◆電線が横切る稜線上を180度ぐるりと回り込む山道 横断線と同じく圧倒的なパワーで馬車をねじ伏せればいいだけだ。ところが氏は若松隧道の開通を待った。それを当然の事と捉える見方もあろう。隧道の供用開始まで自動車の峠越えは物理的不可能という解釈も出来るからだ。 ところが御存知のように水上は花石越えも怯まぬ猛者で、氏にとってここ若松越えなど朝飯前だ。敢えて氏は旧道の覇権争いを仕掛けなかったと僕は考える。何故か?水上が後がない者の立場を十二分に理解しているからだ。 若松峠7へ進む 若松峠5へ戻る |