教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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静狩峠(26)

★★★★

静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書

その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。

 

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行き止まりの海線に山線が重なる海岸線の直線走路、その背後に聳える山並みのどこかにイザベラ道もとい江戸道の軌跡が眠っている。大岸町の聞き取りでは高校教諭に道案内を頼まれた古老軍団が、古い石垣が認められる徒歩道サイズの小径を辿り大岸峠最古の路の踏破に成功している。

その際教師はこれで山道の全貌が明らかとなったと言ったそうな。その言葉の意味するところは、大岸峠以外は既に掌握済であったという事。勿論その経路は明治27年新設の車道ではなく、いまだ教育委員会も全貌を掴んでいない江戸時代の礼文華山道に他ならない。

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目賀田が遺した鳥瞰図には石垣こそ描かれてはいないが、幾つかの木橋が鮮明に描写されている。その土台に石積みが成されていたはずで、道中の怪しい箇所も石積みで補強されていたとみて間違いない。それら人工物との照合により道跡の特定はそれほど難しくはない。

今日現在イザベラルートはある程度のレベルで特定されている。その精度は定かでないが一部の登山家も山家の目線から探ろうとしており、調査人口が増えそれなりに踏み跡が重なれば、そう遠くない将来踏分道が成立する可能性は大だ。そのルートを単なる江戸道と切り捨てるのは早計だ。

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戦後程無くして一級国道の称号を得たエリート路線の祖である。一介の山道とは訳が違う。元号が明治になって27年間も供用され続けた近代路でもあるのだ。ただ幕府の命を受けた目賀田や武四郎が往来した由緒ある古道ではあるが、一時期は海路に覇権を奪われた残念な経歴がある。

事実イザベラ女史は明治11年に室蘭から長万部へと山道経由で南下している。明治5年より運用している森蘭航路を蹴っての参戦だ。先に海岸線の踏破に成功している動植物の分布境界線ブラキストン線で有名なブレ―キストンの影響が大だが、それにしても無謀な挑戦と言わざるを得ない。

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原住民からあそこは通れないと諭されたものの、彼女は駄馬の割増運賃を払ってまで山道の踏破を試みる。その間擦れ違った人物は皆無で、今年になって通ったのは二人の役人と一人の警官の他にただ一人だけであると村人から聞かされた。

役人と警官は職務と考えていい。となると民間人の通行は僅か一名に止まる。何故これほどまでに通行者がいないのか?それは当時の礼文華山道が有料道路であったからだ。険阻な山道が課金されていたというのである。

礼文華古道=有料道路

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海路は言うまでもなく陸路もまた課金されていたとなると、どうせ金を払うなら楽な方が良いと考えるのが人間で、余程の事情がない限り最短最速で室蘭と森を結ぶ森蘭航路を利するのは当然の帰結である。利用する者がゼロに近いのだから黙っていれば道は荒廃する。

年間数人しか通らない道は荒れるに任せ荒廃の一途であるから、そのような悪路にお金を出す御人好しがいるはずもなく、礼文華山道は完全に悪循環スパイラルに陥っていた。年間数人しか通わない違和感は、課金道路という愚策が招いた悲劇という解釈で一応消化出来た。

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しかしイザベラ女史はこうも言っている。背後に政庁の権益が見え隠れしていると。もし陸路を無料開放した場合、半数かそれ以上の者が山道を経由したとしても不思議ではない。今も有料区間を嫌って旧道を経由する車両は後を絶たない。今よりも貧しい時代背景から尚更であろう。

お金を払うに値しない山道に課金されれば、旅人はどうせ金払うなら船でという事になる。ドル箱路線となった森蘭航路から多額のキックバックがあったという解釈が成り立つ。通行者皆無の山道は年に数回役人と警官が巡回する程度で良し。札幌本道は近年稀に見る搾取路線であったのではないか。

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札幌本道を道内随一のドル箱路線へと押し上げる立役者となった礼文華山道。もう少し開発が早ければ札幌本道に組み込まれたであろう幻の大路は、地政学的優位性から戦後大躍進し高速道路敷設の足掛かりとなった。

その源泉となる明治新道もとい旧国道37号線の完全踏破を果たした今、次なる標的は・・・っえ?峠がもう一個ある?完全踏破も果たしていないってか?どゆこと?僕は今の今まで全く気付かなかった。礼文華山道のボリュームが一般的概念より一回りも二回りも大きい事に。

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