教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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静狩峠(24)

★★★★

静狩峠(しずかりとうげ)の取扱説明書

その昔、猿留山道及び雷電山道と並び蝦夷地三大難所に数えられた礼文華山道。その行程は長万部から豊浦にかけての気が遠くなる程の長大山道で、一般には筆頭格と目される礼文華峠のみが取り沙汰されるが、礼文華山道とは大小連なる複数の峠の総称であり、その全体像を掴むには個々の峠を丁寧に精査するしかない。それぞれが距離も高低差も難易度も異なる多様性に富む峠越えの中で、僕が本気で死を意識し一枚の写真も収められなかった峠がある。それが静狩峠だ。読んで字の如しサイレントハンターはトラップに嵌まり衰弱する僕を静かに見守っていた。夕刻迫る発狂寸前の渦中でふと我に返った僕は、間髪入れずに敵前逃亡を図る。あれから十余年が経ち機は熟した。あの日あの時あの瞬間の忌まわしい借りを返すと同時に、返す刀で礼文華山道の全貌を白日の下に晒す。

 

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◆背後の現国道より離脱するブレない原野の一本道

背後に聳える巨大な法面へと通じるブレない一本道は、現道民の大多数がその存在を認知しない一介の市道に過ぎない。白昼の通行者は皆無に等しく、忘れた頃に車両が通り過ぎるだけの単なる生活道路となっている。現状のみで判断すれば語るに値しない道路ネタだ。

しかしその実態は静狩駅と静狩峠を結ぶ峠道の一部であり、その延長線上には室蘭・苫小牧といった一大商工業エリアが控えるビジネス路線であり、一時期は主要幹線道路として重要なポストに就いていた実績ある路線で、事実このインチキ二車線路は一時期国道37号線を名乗っていた。

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◆未舗装時代が容易に想像される駅前へと続く一本道

昭和28年の道路法改正により、この道は国道のポストに就く。それもいきなり一級国道という大抜擢である。列島全体で40の枠しかない狭き門を、この道は戦争の傷も癒えぬ昭和20年代末に抉じ開けた。疲弊する地方の地方では、まだ木炭バスが実践投入されている時分の話である。

日本が二度と戦争をしないように、軍に繋がるありとあらゆるものが解体され、平和裏に改革が遂行されゆく過程に於いて、内浦湾すれすれを通過す形で長万部と室蘭を結ぶ路線は、商業路線はもとより来たる車社会を見据えたドライブコースとして、道の内外を問わず認知されていく事となる。

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◆室蘭本線の踏切を渡ると環境はガラリ一変する

昭和41年発行のドライブ実用百科では、昭和39年現在の国道37号線の舗装率を39%と認めつつも、「長万部から噴火湾ぞいに東室蘭・苫小牧が汽車でも道路でもメインコースになった」と綴っている。これは新トンネル群を筆頭とする新道への切替が大きく影響している。

当時の国道37号線は全行程89kmの約四割しか舗装が成されていなかった。それは即ち舗装化が室蘭寄りに集中し、他は豊浦や虻田の駅前周辺のみが気持ちアスファルトに覆われていたに過ぎない。西側の大半は舗装化の見込みがないまま国道昇格後も長らく放置されていたのだ。

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◆店を閉じて久しい小売店が建ち並ぶ駅前商店街の様子

それは致し方ない。昭和30年代中盤には礼文華隧道を筆頭とする新道計画が持ち上がっていたし、30年代後半には測量及びボーリング調査が成されている。従って退任がほぼ確定している礼文華山道の舗装化を実行に移すだけの明確な根拠が見当たらない。なんでヤル気ナッシングである。

そこに大金を叩く意味は?と民に問われた際に、役人も政治家も説得し得るだけの術を持たない。という訳で現状維持で何とかその場を凌ぎ、路線切替後は放置するより他なかった。礼文華の山々をのらりくらりと駆け巡る山道は、あくまでも繋ぎ融資的な期間限定の道路でしかなかったのだ。

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◆郵便局付近で大きく弧を描き右に舵を切る旧国道

その後再び脚光を浴びる可能性も無きにしも非ずであったが、今日現在山中に眠る山道のほぼ全ての区間が、現役時代そっくりそのままの姿を維持している事実を我々は承知している。ほんの僅かでも舗装区が認められるならば、峠道の舗装化も視野にあったという証左になるだろう。

しかしながら市町村道や道道への転用区以外の純粋な山道と呼べる峠区に、アスファルトの欠片さえも認められない。それは即ち鼻から新道ありきで礼文華バイパスが計画され、在来国道をポイ捨てするのを承知の上で新道敷設を遂行したと考えて差し支えない。

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◆静狩市街地の中心にひっそりと佇む静狩郵便局

礼文華新道の竣工は昭和41年であるから、旧国道37号線は昭和28年の法律施行から14年の短命に終わった事になる。僅か十余年の短い期間ではあるけれど、静狩⇔礼文華⇔チャシ⇔大岸と辿る山越の難路は、国の生命線たる屋台骨として幹線の旗振り役を任された時代があった。

高が十余年、されど十余年である。あの悪名高き礼文華山道は過去に一級国道を冠された主要幹線道路であったという事実は覆らない。大なり小なり誰しもが消そうにも消せない過去がある。かつて僕に死を覚悟させたヌタヌタドロドロの峠道は、天下の国道1号に比肩する大動脈であったのだ。

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◆ゆるやかに弧を描きながら海岸線に合流する旧国道

その事実と現況を照合しようにもどうにも腑に落ちない。国道=真っ当な路という思い込みが邪魔をして、擦り合わせが上手くいかないのだ。現場を一通り精査した僕がそうなのだから、般ピーがハイそうですかという訳にはいかない。

この半世紀で何もかもが変わってしまった。戦争の実体験者が残り少なくなる中で、短命に終わった礼文華山道の国道時代を知る者もまた減少の一途で、それ以前の様子となると悲しいかな最早風前の灯である。

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