教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>県道>岡山>物見峠

物見峠(3)

★★★

物見峠(ものみとうげ)の取扱説明書

美作の県北域に県界を跨ぐ第五の車道を捉えるまでは、四天王の一角を成しそれなりの重責を担った峠道がある。現在は市町村道に区分される車両の通行を許す里道の峠が皆無という特殊なエリアで、日中の交通量がほとんど無いに等しいにも拘らず、主要一桁県道というポストに君臨し続ける路線、それが物見峠だ。我々はこの峠について何も知らないし、さして興味を抱く事もなかった。旧廃道でなければ道路に非ず、その拘りが当該物件を遠避けてきた。しかしこの峠を軽く扱えるのも今日までだ。この峠道無くして今日の黒尾峠は成立し得なかったし、物見峠を無視してこの界隈の交通事情は語れない。黒尾峠から始まる峠物語は右手峠と草の原峠を経ていよいよ最終章を迎える。道路の現況に囚われない歴史道の真髄を御覧頂こう。

 

DSC03467.jpg

◆トンネルであっても不思議でない巨大な掘割

加茂川を一跨ぎするコンクリ橋の銘板には、加茂橋と彫り込まれている。河川名がそのまま宛がわれているという事は、余程重要な橋なのだろうと思ったらまさにその通りで、上流域のちょろ川は兎も角、下流域の大規模な河川では唯一のまともな橋で、それは県道筋を丁寧になぞってみると良く分かる。

加茂橋は峠と津山市街地の間に架かる唯一の真っ当な橋梁で、そこが古来最大の障害であったと考えられる。付け替え時期は竣工年と刷られている昭和10年6月で、加茂橋の重厚な容姿は戦争の足音が聞こえる時代背景を如実に反映している。そこだけは支那事変辺りで時が止ったかのようだ。

DSC03468.jpg

◆旧県道脇に佇む江戸時代の水路暗渠に関する案内板

架設工事中の昭和9年に100年に一度の大水を経験しているので、余程の大水害に見舞われない限りまだまだ持ち堪えるのではなかろうか。昭和初期の橋の出現で旧道としての価値は一段階上がったが、それをもう一段引き上げる遺構が唐突に僕の目の前に現れる。巨大な掘割がそれだ。

ヘナリワンと比すれば岩塊がいかに巨大なものかが分かる。これを単なる掘割と捉えるのは早計だ。ダイナマイトで吹っ飛ばしたで片付けるのは勿体無い代物である。何せここには隧道が存在するのだ。道路トンネルではないが、その存在が旧道の掘割と無関係でない事は、案内板にはっきりと示されている。

DSC03469.jpg

◆道路脇に息を潜める200年前に開削された水路隧道

掘坂暗渠

そいつは案内板の裏手で息を潜めていた。ゴーゴーと音を立て大量の水を吸い込んでいる。それは今に始まった事ではなく、なんと200年の長きに亘り絶え間なく加茂川の水を吸い込んでいるという。暗渠は幅2mで長さが100mに及び、超巨大な岩塊を真一文字に貫いている。明治維新から遡る事大凡半世紀も前の文政6年に大事業が達成されている現実も然る事ながら、その工期に驚きを隠せない。

DSC03470.jpg

◆鉄道筋は道路以上の深々とした巨大な切り通しで処理

文政五年二月に起工し翌年三月に完成

幅2mのトンネルを100m掘り進めるのに僅か13ヶ月とは驚きだ。そりゃぁウイッキーさんもハバナイスデー!と称賛しまさぁねぇ。その当時の道具なんて高が知れているから、昼夜を問わず人海戦術で掘り進めていったのであろう。

受益者たる掘坂村の多くの住人は率先して穴普請に加勢したであろうから、1年ちょいの短期決戦であれば後々の利潤を思えば相殺して尚お釣りが来る。となると村の一大事業に参加しない方がどうかしている。

DSC03471.jpg

◆南北を二分する掘坂の大障害より物見峠方向を望む

掘坂村史に残る世紀の大事業は、それはそれで後世に伝えねばならない重要な土木遺産であるのは確かだ。しかし我々にとっては別の意味でこの暗渠の存在は貴重だ。何故か?それは水路隧道と同じく大障害との対峙を道路と鉄道が追体験し、共に掘割によって道筋を付けているからだ。

暗渠の先で旧道筋は因美線のレールに寄り添う様に急接近する。そこから振り向けば鉄道は古墳のように盛り上がる大地を真っ二つに切り裂き、何事も無かったかのようにレールが敷かれている。その高低差は旧道の掘割の比ではなく、トンネルで処理するのが妥当と思えるほど切り通しは深々としている。

DSC03472.jpg

◆掘坂トンネルを抜けてきた現県道筋と合流

事実現在の県道は障害物をトンネルで克服しており、大地に横たわる隆起堤を二つのトンネルと二つの掘割によって先人達は克服した。水路に道路に鉄道と用途は様々であるが、土木構造体としてはどれも無縁ではないし、江戸時代の暗渠が風穴を開け先鞭を付けたと捉えられなくもない。

暗渠は川筋から最も効率の良い経路を導き出した結果、鉄道と道路の間を割る様にして貫通しているが、後追いの道路は工事規模を最小に抑えるべく川筋の最も低い所を掘り割り、鉄道は有無を言わさずダイナマイトで大地を切り裂き、最後発の道路トンネルは削岩機で山塊をぶち抜いた。

DSC03473.jpg

◆直線の住宅地を貫く大型車一台がやっとの狭隘路

工事はそれぞれ用途も開削時期も異なるが、共通しているのは障害を克服している点である。川筋の前後に立ちはだかる障害物を人々はその昔から意識し、事ある毎に悩まされ続けてきた。それは村名にも表れている。

掘坂村、その村名を目にした時僕はハッとなった。峠だ、全ての通路が障害物と見做した山塊は小さな峠なのだ。掘坂という名の峠は県内でも数箇所で認められる。従って津山と加茂の間にある障害物が峠であるのはほぼ間違いなかろう。

物見峠4へ進む

物見峠2へ戻る

トップ>物見峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧