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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>里道>岡山>草の原峠 |
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草の原峠(1) ★ |
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草の原峠(くさのはらとうげ)の取扱説明書 美作の県北域に第五の中央分水嶺越えの車道が存在する。その現実を知って直ちに消化する事が出来るであろうか?正直僕はそのルートを頭ごなしに否定した。疑いではなく完全否定である。拒絶と言った方が正しいかも知れない。だってだってだよ、現場付近には何度も何度も何度も何度も足を運んでいて、中央分水嶺を跨ぐ車道の敷設がいかに難事業であるのかを曲りなりにも知っている身としては、第五の車道の存在などそう簡単に認める訳にはいかない。しかし志戸坂・黒尾・物見・右手に次ぐ第五の車道は確かに実在した。この僕をヘナリワンと共に県界越えを果たさせたのだから本物だ。何だか狐に摘ままれたような話だが、実際に峠を越えてしまったのだから覆し様がない。陰陽を隔てる障壁に風穴を開けた第五の矢はいかなる峠道なのか?知られざる峠の謎解きに挑んだ事の一部始終を御覧頂こう。 |
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◆起点となるトムソーヤー冒険村の県道7号線とのT字路 嘘だろっ?! 右手峠の路の遍歴を調べる際に開いた地図のとある頁に記される一筋の線に、僕の目は釘付けになった。と同時に思わず声を上げてしまった。そりゃそうだ、常識的に有り得ない箇所に車道と思わしき道筋が明確に記されているのだから。それも他の道路地図では確認出来ない中央分水嶺を跨ぐ峠道であるから、その驚き様たるや半端でない。しかも発端となった地図は最新のものではないのだ。 |
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◆津谷川に架かる木製の欄干が施されたお洒落な橋梁 書斎の棚に埋もれる年代物の地図の中に、そいつはナチュラルに描かれていた。一般に古地図と称される古書独特の匂いを放ち、元所有者に使い古された草臥れた道路地図の発行年月日は、昭和45年6月1日となっている。 第五の峠道は70年代には既設 古地図の情報を鵜呑みにすれば、中央分水嶺を跨ぐ謎の路は1970年には開設していた事になる。但し御存知のように地図にはタイムラグがある。実走調査をして得た情報を紙面に落とし込むまでに、それ相応の時間を要する。 |
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◆山道は舗装済で普通車同士の離合を許す4m幅を保つ 地図会社の内情は知らないのであくまで推測に過ぎないが、数万人規模の人員を動員して実走させたとしても、それが紙面に反映され我々の手元に届くまで、少なく見積もっても1年は掛るだろう。アナログ時代であれば尚更で、1960年代には第五の峠道が既設であった可能性が大だ。 古地図の発行年は昭和45年であるから、調査隊は1969年或いはそれ以前に四輪で第五の峠を越えたとの解釈が妥当だ。1969年と言えばアポロが月面着陸を果たし、その様子を世界が固唾を呑んで見守った時分で、その頃には第五の峠道が平然と存在していたのかと思うと愕然とする。 |
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◆側面の石垣は重厚だが古臭さは些かも感じさせない 自分はこれまで何をやっていたのか?と。アポロ11号は月に行ったっていうのに〜♪とポルノグラフィティが熱唱する毎に自身の半生を振り返り嘆くのも頷ける。人類史という壮大な視点に立ったアポロ計画に比べると、個々が抱える問題は余りにも小さい。陳腐過ぎて笑っちゃう。 ハハハッ!こんなとこにも峠道あったんや〜と笑い飛ばすしかない。しかし僕はそこまで人間が出来ていないので、どうしても今回の一件を失態と捉えてしまう。もうかれこれ何十回とこの界隈に足を運んでおきながら、その存在にすら気付かなかった自身の取材力の乏しさを顧みない訳にはいかない。 |
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◆どこにでもある近代的な橋で状況は一変する 灯台元暗しとはまさにこの事だ。勝手知ったる県北域と肩で風を切る僕に、草の原峠はあります!と小保方氏並みの勢いで古地図は過酷な現実を突き付けた。グリップヒーター全開でも手の甲がキンキンに冷える師走の県北域への追加取材は、まさにクサノ・リターンと呼ぶに相応しい過酷な強制労働である。 現場は右手峠の峠下にあたる旧右手村付近で、トムソーヤー冒険村として週末は一定の利用客が見込めるレクリエーション施設の看板が掲げられたT字路が起点となる。勿論その交点には未知なる路の紹介はおろか、鳥取県へ通じる峠越えの路に関する一切のアナウンスが成されてはいない。 |
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◆現在の橋と並走する形で現存する山道の旧橋を捉える ほぼ全ての箇所で普通車同士の擦れ違いを許す、4m幅の整備の行き届いた小奇麗な車道が奥へと続き、第一印象としては近年敷設されたばかりの新設林道を彷彿とさせる。しかし起点から500mも進まぬうちに、その道が“前身”を上書きした改修路である事実が判明する。 見てくれ、このまともな欄干すら存在しないみすぼらしい橋梁を。堆積した落ち葉の分厚い層がその存在を掻き消しているが、河川上を跨ぐ幅2mちょいのブラウンの絨毯が、そこに短橋梁アリとさり気なく主張する。般ピーの視界には届かないであろう古橋は、すっかり自然と同化している。 |
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◆平成6年の夏まで現役として供用されていた旧やまめ橋 しかしそれが天然の山肌とは一線を画す人工物と気付くのに、それほど時間は掛らない。旧橋の側面には擦れたコンクリートの断面が露出し、パッと見は土橋のように映る橋梁が、実は昭和製の遺構である事が分かる。 その起源は定かでないが旧橋は昭和年間に改修を受けた古くて新しい橋で、銘板に平成6年8月とある現在の橋が竣工する以前に供用されていた紛れもない旧道だ。この旧橋との対峙で僕は確信した。第五の峠路は地図会社の記載ミス等ではなく、実際に車道が鳥取県側へ抜けているのだと。 草の原峠2へ進む |