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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>川面峠 |
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川面峠(10) ★★★ |
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川面峠(こうもとう)の取扱説明書 川面峠、全く聞き慣れない峠だ。そりゃそうだ、我らがバイブルツーリングマップルに一度も掲載された例がなく、市販の地図の多くが未掲載であるから、般ピーは基本的にその存在を知る術がないのだから。僕も御多聞に漏れずつい最近までその存在には気付かずにいた。正確を期せば読者からの情報により既知ではあったが、今にしてみればそれは迷宮の入口に過ぎない。舞台となるのは広島県と鳥取県に接する新見市で、歴史道では未着手の空白エリアである。何故今日の今日まで手を付けなかったのか?それは新見最大の謎である九の坂が絡んでいるからだ。当時の僕では手に負えなかったし、強引に着手すれば食い散らかして終わったであろう。しかし今は違う。江戸道以上明治道未満の暫定車道の発掘に尽力し、数多の実績を積み重ね機は熟した。これより川面峠&九の坂の二部構成で新見市街最大の障壁に挑むが、広島・鳥取・島根の各県が絡む壮大な物語が、岡山県の殻を破る突破口となる事を付け加えておかねばなるまい。 |
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◆明らかに駅前旅館と思われる建物が二棟並んでいる 峠道の事実上の着地点はJR伯備線との交点で、踏切を機に道路は川伝いを横這いに進む。鉄道はトンネルへと潜り込むが道路は相変わらずの断崖路で、大型車一台がギリギリの道幅からバスの往来を想像をするのは困難で、その狭隘路は大正時代から大きな変化が無い事を示唆する。 二度目の踏切を跨ぐとそこは備中神代の駅前であるが、連続する踏切はどちらも大型車同士の擦れ違いは不可能で、通行車両の絶対量が少ない昭和30年代は兎も角、一般市民がマイカーを所有しだす昭和40年代はどう捌いていたのか全く想像が付かない。 |
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◆古風なスタイルの橋梁は昭和31年竣工の金付橋 但し二度目の踏切を渡り終えた先の駅前通りは道幅が広く、現代のマイクロバス程度の車格であった当時の大型車同士がギリギリ擦れ違えるインチキ二車線規格を有している。その幅広道がしばらく続くのだと昭和臭全開の古風な橋は語る。その銘板には昭和31年竣工と彫刻されている。 金付橋を名乗りJRの鉄橋と併設するその古橋は、風貌から昭和30〜40年代前半の橋と一目で分かるが、路線バスが峠道を走り始めた昭和26年当時が木橋であったと想像されるが、もしかしたら永久橋であった可能性も否定出来ない。何故なら昭和3年まで当路線が唯一の生命線であるからだ。 |
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◆踏切の先には小規模の商店街が待ち構える まだ九の坂トンネルや新見トンネルが影も形も無く、鉄道隧道さえ風穴が開かぬ暗黒の時代に、当山道に課せられた責務は我々現代人が想像する以上に重い。三次⇔庄原⇔東城⇔新見と続く中国中山間部の中核都市を繋ぐ生命線として当山道は指名された。 人力車や馬車が主役を担った時代に開削された山道は、いつ開通するか知れない鉄道の代役としての期待を一身に背負い、この界隈になくてはならない必要不可欠な重要路線であった。それは最盛期に国道182号線の肩書を手にし、今でも主要一桁県道のポストにある事からも理解出来よう。 |
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◆商店街の中心部にある青看の行き先には米子の二文字 いつまで経っても開通の見込みがない鉄道に痺れを切らし、山道の整備に力を入れた点を踏まえれば、大正の晩年もしくは昭和初期にコンクリ橋を架設したとしても何等不思議でない。金付橋は永久橋として二代目の可能性があり、そうであっても全く驚けない歴史的背景がある。 備中神代駅前は今でこそ閑散としているが、誰がどう見ても駅前旅館にしか見えない木造の家屋が二軒並んでおり、大昔は峠下の宿屋として、また鉄道開業前夜は工夫の常宿として、また鉄道開通後は駅前旅館として旅人やビジネスマンに大いに利用されたであろう事は想像に難くない。 |
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◆旧道はJR伯備線と分離したJR芸備線の踏切を渡る 備中神代駅は伯備線と芸備線の乗換駅であるから、人々が公共交通機関を乗り継いで移動するのが当たり前だった時代は、こんな僻地でも駅前旅館は十分に成立し得たのだ。駅前には店を閉めて久しい商店や理髪店等が並ぶが、神代の真の商店街は金付橋を渡った先に待つ。 駅前は駅前でそこそこ栄えていたと思われるが、郵便局や酒屋や呉服屋などは三つ目の踏切を渡った先に密集し、備中神代駅は駅前で全てが事足りるという訳ではない。神代の商店街に滑り込むと昔ながらの青看が佇んでおり、そこには東城23km、米子78kmと記されている。 |
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◆東城側の国道182号線新旧道交点 東城23kmは良しとして、米子78kmの表示がこの道のポテンシャルを端的に示している。県道8号線は国道182号線に一旦吸収された後、伯備線と並走する形で北上し県境を跨ぎ生山に至る。それだけであれば単に国道182号線と国道183号線を繋ぐ連絡線に過ぎない。 しかし青看にもあるように川面峠を越す車両の最終目的地は米子であり、生山で国道180号線に入り五輪峠を越えると米子駅前に至る。これだ、川面峠を越す長距離夜行特急バスはまさにそのルートを辿って瀬戸内と日本海とを結んだのだ。明地峠が長らく未通であったから間違いなかろう。 |
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◆神代⇔新見間の現在の勢力図 かつて国道を名乗った川面峠は、新見と東城を結ぶ主要路という側面があるが、実は幻の国道と称された国道180号線の代役を担う幹線路でもあり、明地トンネルが開通するまでは事実上の新見と米子を結ぶ最重要路線でもあったのだ。 布原の古老が峠越えの路線バスが神代から東城へ行く便と足立へ行く便の二系統があったというのはその為だ。最後の最後に峠の真下を貫通する鉄道トンネルは川面隧道かと尋ねると、古老はこのように返してきた。 あれは苦ヶ坂隧道じゃ 川面峠9へ戻る |