教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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四ッ乢(11)

★★

四ッ乢(よつだわ)の取扱説明書

これまでも歴代の地形図や古文書等に記載されない峠を発掘してきたが、またひとつここに新たな未知なる峠がコレクションに加わろうとしている。その峠道はかつて国道を名乗った時期がある伝説のルートで、道路史的価値はその他大勢の雑魚道とは一線を画す。表向きは単なる県道を装っているが、その実態は国道時代と歩道以上車道未満の二つの顔を持つ、一粒で二度美味しい希少物件で、一般的な名無しの峠となっている現場を住民は四ッ乢と呼ぶ。その道程は取るに足らない些細なものではあるが、一度は国道を名乗った以上、道路史的には絶対に外せない。十日乢と共に連続踏破する事で、かつて國道十九號を名乗った路線の全てを白日の下に晒す。

 

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◆明治31年の測量時は現役であった備前街道の十日乢

備前街道が出雲街道にぶつかる地点に、かつて学校が存在した事を教えてくれた古老は、大正15年に生を授かっている。僕がそれって昭和元年ですよね!と軽くツッコミを入れると、いいや大正15年だ!と一歩も引かない糞爺古老は、高徳の丘を越える路が旧道である事実に全く気付いていない。

新旧道の切り替えが成されていないとする大正14年補正の地形図が正しければ、現役を退いてから間もない旧道の存在を古老は知っているはずだ。しかし実際には知らぬ存ぜぬの一点張りで、その反応こそが明治40年の路線切り替えを象徴している。古老は旧道については本当に何も知らないのだ。

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◆明治40年より新たな経路に切り替わった新十日乢

当たり前だ、彼が産声を上げる遥か以前に本線は現在の経路に切り替わっているのだから。氏が幼少期に目にしたであろう本筋は、ゼロベースで敷設した路がすっかり板に付いた頃で、新道に切り替わってから既に二十余年が経過している。従って古老が旧道の存在を知らなかったとしても何等不思議でない。

大体十日乢及び四ッ乢界隈の住民の多くは、現県道159号線筋が一時期国道を名乗っていた事すら知らずにいる。聞き取りで唯一それらしい反応であったのが、米子へ行く道だったというものである。

米子へ行く道

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◆明治31年の測量時は高徳の丘を越えていた備前街道

僕の聞き取り調査に重大な落ち度があるのか、はたまた緘口令でも敷かれているのか、最後の最後まで沿線住民の口を突いて国道19号線の呼称が発せられる事はなかった。それどころか国道のこの字も出なかった事で、僕は大いなる消化不良に陥った。何なんだこいつら?

何だかな〜by阿藤海的な腑に落ちない状況ではあるが、ひとつの仮説が思い浮かんだ事で冷静さを取り戻す。もすかして大正国道とは机上の取り決めに過ぎず、一般に周知徹底した訳ではなかったのではないか?現場の状況が何等変わらなかったとすれば、住民が関知しないのも頷ける。

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◆明治40年より千代へ直線的に滑り込む新設の馬車道

今日現在国道筋には逆三角形の青い標識に番号が刷られた案内板が設置されている。通称おにぎりと呼ばれる国道標識がそれだ。昭和35年の道路標識令の改正によって登場したおにぎりは、今でこそ当たり前のように定着しているが、市民権を得たのは東京オリンピック以後の事である。

国道を番号で呼ぶようになったのは昭和中期以後で、それ以前は国道を数字で表すという習慣がなかった。だとすれば昭和28年に国道のポストから除外された路線は、一度も数字で表現される事はなかったというのが実態で、それであればいくら僕が声高に国道19号線を連呼しても響く訳がない。

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◆人力車が駆け抜けた江戸道由来の街道筋の全体図

な〜んだ、そういう事か!と合点している場合ではない。沿線住民が国道19号線なる正式名称を関知していない事だけは分かった。しかし問題はそれ以前にある。彼等は国道番号のみならず、十日乢&四ッ乢が国道であった事すら知らないと主張し、逆に他所者である僕に聞き返す始末。

唯一の証言が米子へ通じる道というのだから、開いた口が塞がらない。しかしその証言が無かったら大惨敗な訳で、遥か遠くにある米子という地名を引き出せただけでもめっけもんなのかも知れない。これが勝山方面とか言われたのでは目も当てられないが、県界を跨いだ先の要所の登場で何とか救われた。

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◆大正から戦後にかけて国道指定を受けた区間の全体図

当時は国道標識も無ければ詳細な地図も無い。庶民の多くは徒歩による移動が主流であり、ドライブという概念が定着する以前の状況であるから、住民が日常的に利用している道が国道だろうが県道だろうが市町村道だろうが、そんなん知ったこっちゃねー!というのが正直なところであろう。

旧来の路から新道に切り替わるというのは、物理的にも心理的にもインパクトは大であるが、道路の肩書が変更される事による影響はほとんど無いに等しい。それが棚牡丹式に降って湧いたものであれば尚更で、国家の都合で御上が勝手に決めた事であれば、住民が無関心であるというのも頷ける。

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◆旧道の存在も国道時代も想像し難い現況図

十日乢にしても四ッ乢にしても沿線住民が国道昇格を常日頃から願い、度重なる陳情や地元の有力者が政界を奔走するなどして、自分達が汗を流す事で国道の称号を勝ち取った訳ではない。欧米列強に追い付き追い越せの大号令の下、時勢によって最適化が図られた結果、そうなっただけの事である。

岡山と鳥取を結ぶよりも、岡山と島根を結ぶ事に重きが置かれたのだ。十日乢&四ッ乢は国策として国道に指定された軍事色の強い路線で、国道としては根付かなかったが、それが平和の代償であるならば、一国民としては納得である。

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