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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(21) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆十日乢越えの備前街道と交わる変則の十字路 桑下地区東側の新旧道交点より旧道筋を辿ってくると、始めこそ昭和後期の建物が立ち並んでいるが、徐々に蔵付きの大屋敷が周囲を取り囲み、江戸時代宛らの様相を呈す門前町風の雰囲気がMAXに達した所が、旧道と旧旧道がぶつかる変則の十字路となる。 その交点の正体を知り得るのは、上組のカーブより山道を踏破した者のみで、国道429号線の旧道筋をトレースする者の視点だと、単なるT字路にしか映らないだろう。倭文川を跨いで左からぶつかってくる車道は、大屋敷の白壁によって行き場を失い、左右のどちらかに矛先を向ける事を強要される。 |
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◆かつて路線バスも通ったという桑下の旧繁華街 それは国道429号線筋の東西どちらから旧道筋を辿って来ても同じ結論に至るし、倭文川を一跨ぎしてくる一般の通行者も同じ感覚であろう。誰もその交点を十字路だなんて認識しちゃぁいない。正確を期せば山道の続きは微妙なクランクを描き一車線前後がズレているので、十字路とは認識し難い。 身振り手振りで状況を説明して初めて納得出来るもので、そうでなければ四輪だとミゼットしか通行出来ない小径を、一端の道路などとは到底思えない。しかし現実としてその交点は、明治後期まで県道と一等里道が交わる重要な交点として位置付けられ、人力車の帳場を備えるほどの賑わいをみせた。 |
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◆国道429号線と県道159号線の一時代前の分岐点 江戸時代及び明治年間を通じて桑下の中心で有り続けた変則の十字路、その交点が要衝としての地位を失墜する日を迎える。明治40年の十日乢新道の開設によって、過去300年超の長きに亘り不動の地位を築いた辻が大きく動いたのだ。山が動くとはまさにこのような場面を指して言うのだろう。 正面に構えるのは閉めて久しい老舗酒屋で、朝青竜の朝稽古で屋台骨の致命傷を負いかねない建物は、昭和30年代の様子を保ったままの古き良き時代の日本家屋である。次代を担う交通の要衝は、この変則のT字を描く三差路へと移管し、十字路の一等地としての価値は損なわれた。 |
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◆明治40年の新道切り替え後は酒屋が桑下の一等地 備前街道と西川街道の十字路に代わって台頭した三差路は、相互に馬車の往来を許す新規格の交点で、幅員2.5〜3mを有する馬車道は、まさに新時代の到来を予感させるに十分な仕様で、その規格がいかに優れているのかは、自動車時代になっても尚この三差路が桑下の中心で有り続けた点でも頷ける。 r状に西川街道筋より枝分かれする3m幅の路が、明治40年の十日乢新旧道切り替えに於いて誕生した期待の路で、ピーク時の最晩期は県道159号線を名乗る事になるが、この道自身が獲得した最高ランクが主要二桁国道という事実を知る者は少ない。国道19号線、これが生涯最高の肩書である。 |
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◆酒屋より現道と化して久しいバイパスの交点を捉える 生涯に一度でも主要二桁国道を獲得するのは、生半可な事では実現出来ない。沿線住民から大物政治家を輩出し、政財界を通じて様々な場面で奔走したところで、席に限りがある以上その椅子に座るのは至難の業だ。だが桑下はその難題に挑み、見事にやってのけた。 我が国の道路が国道・県道・里道の三区分に分けられてから、今日までに二度のガラガラポンを経験している。一度目は大正9年の道路法改正で、二度目が昭和28年の法改正である。細かい変更は抜きにして、明治から平成に至る近代道路史に於いて、二度に渡る大改革が実行されている。 |
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◆大型車一台がやっとの狭隘路から道幅は急激に膨張 何の取り柄も無い一介の路が伸し上がるには、このようなガラガラポンに便乗するより他ない。どんなにプッシュしてもなかなか思い通りにはならないのが世の常だ。平時であれば桑下地区の住民が逆立ちしたって、主要二桁国道のポストを奪取するなど夢物語であったろう。 しかし現実に桑下は国道19号線の経由地となり、大正9年から昭和28年まで日本の名立たる国道経由地の仲間入りを果たす。いくら道路法改正のドサクサに紛れたとは言え、そう簡単に一軍に起用される訳ではない。一体全体何があったのか?戦争だ。平時では叶わないものも、有事となれば話は別だ。 |
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◆サークルKがある国道429号線と県道159号線の交点 大正9年の道路法改正で選ばれた選抜メンバーが巷で何と呼ばれているのかを知れば、何故美作の奇跡と称される大逆転劇が起こったのかが分かる。GJD38、創設時の38路線を大正国道と呼ぶが、これには隠語がある。それが軍事道路だ。 国道19号線(十日乢)=軍事道路 十日乢を越え桑下で新旧道が重なる備前街道筋は、もう一つの峠を越えて久米へと達する。どの文献にも記載されない小さな乢であるが、取材中に遂に村人の口から峠名が齎される。四ッ乢、これより挑む小さな丘越えの路を、人は四ッ乢と呼ぶ。 十日乢20へ戻る |