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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(1) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆国道53号線と県道159号線が交わる打穴中交差点 ムムッ!この歩道って元車道臭くね?国道より左斜めに派生するナチュラルな舗装路が、一昔前は車道だったのではないかとの疑念を抱いた時点で、これより始まる壮大な物件に片足を突っ込んでいる。この歩道に違和感を覚えなければ何も始まらないが、深追いするとトンデモナイ代物を目にする事になる。 現場は国道53号線と県道159号線の交点で、黙っていれば気にも留めない平凡な交差点なのだが、道路史的には大変興味深い分岐点である事は、高清水峠の報告書で詳らかとしている。今でこそ国道53号線は皿川沿いを北進するが、明治新道の敷設以前はこの交点を左に舵を切っていた。 |
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◆スタンド正面を掠める歩道部分がかつての県道跡 正確を期せば明治初期まで使われていた路は、ガソリンスタンドの背後を通っており、その正面の出入口を弧を描いてなぞる路は、車両の通行を意識して敷設された馬車道由来の古くて新しい路である。今でこそ国道と県道のポストに落ち着いた感のある両者も、明治中期では役職が定まってはいなかった。 それを象徴するのが明治31年測量の地形図で、この打穴中交差点より北へ向けて二手に分かれる道が、同等の太さの二重線で描かれており、当時の国道53号線筋が県道一等であった点を踏まえれば、県道159号線筋もそれと同等のポストにあったと考えるのが妥当だ。 |
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◆国道53号線と遜色ない規格の県道159号久米中央線 交差点の線形が国道53号線から県道159号線が枝分かれしているように映るが、明治新道が設けられた時点で両者のポジションは甲乙付け難く、ガソリンスタンドの正面すれすれを通過する舗装路が、近年まで自然な形で二手に分かれていたのだと訴える。 県道159号線はのっけから二車線の快走路となっているが、この規格も国道53号線から派生する県道では群を抜いており、流石明治20年まで主役を担った国道53号線の祖だけの事はある。現在の皿川廻りの路が拓かれる以前は、猫も杓子もこの県道筋を駆け上がっていた。 |
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◆明治10年代まで使われた力車道が山裾を並走する 正確を期せばその当時の道筋はガソリンスタンドの裏手を伝う土道で、御覧のように山裾には県道と並走する小径が認められ、今もほぼ当時の状態を維持したままの江戸道が現存する。勿論その道筋は単なる街道筋ではない。明治黎明期の車両通行に対応した歴とした車道である。 若かりし日の原敬が人力車に揺られて津山入りした際も、山裾ギリギリの小径を伝い高清水峠を越した事実は、蛇尾坂のレポートでお伝えした通りで、その当時は高清水峠が岡山と津山を結ぶ唯一無二の本筋であり、原敬は打穴中交差点より県道151号線の旧道を辿っている。 |
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◆高清水峠へ通じる古道との交点には道標が認められる その当時は国道53号線が津山街道や県道一等と呼ばれ、本線は打穴中より左斜めに舵を切っていた。そして最初の溜池を迎えたところで二手に分かれる追分が、一時代前の打穴中交差点である。右が高清水峠を越し津山へ至る街道で、左が奥津温泉や坪井宿へ通じる脇街道である。その分岐点がここだ。 皿川伝いの新道、即ち現国道53号線筋の原型が形成される明治20年頃までは、打中穴から300m強北上したこの地点で、岡山から北上してきた者を二方向に振り分けていたのだ。その象徴として今でも交点に道標が鎮座している。原敬を乗せた人力車は、間違いなくこの交点を右に舵を切っている。 |
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◆津山街道との交点を過ぎても県道は緩やかに駆け上がる 陰陽連絡線が打中穴から北に直進するのが明治20年以降で、それまでの本線は北西に舵を切っていた。その道が今日現在二桁国道を名乗っている現実を踏まえれば、交差点から僅か300m少々の短距離ではあるけれど、国道53号線のルーツであるその区間が、旧国道との見方が出来なくもない。 県道159号線の滑り出しが国道53号線の祖となると、もうそれだけで興味深い対象路線ではあるが、実際は我々の道路魂を鷲掴みにするほど、当路線は遍歴の変化に富んでいる。パッと見は単なる快走路であるから、一般のドライバーにとっては使い勝手の良い道に過ぎない。 |
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◆ママチャリでも楽勝のダラダラ坂が続く しかしながら一度この道の何たるやを知った暁には、誰もが当路線の虜になるのは必至である。平凡な田舎の快走路という表面上の顔とは裏腹に、この道が辿る紆余曲折な路生は、その意外性と共に驚きと感動に満ちている。 高が県道、されど県道である。星の数ほどある道路網から、県が主要路としてチョイスしたからには、何等かの背景があって然るべきで、一部区間が国道53号線と深く関わっているというだけで掴みはOKだ。原敬が駆け抜けた高清水越えの路を背にし、溜池の畔よりいよいよ未知なる峠道の本題に入る。 十日乢2へ進む |