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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>県道>岡山>物見峠 |
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物見峠(1) ★★★ |
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物見峠(ものみとうげ)の取扱説明書 美作の県北域に県界を跨ぐ第五の車道を捉えるまでは、四天王の一角を成しそれなりの重責を担った峠道がある。現在は市町村道に区分される車両の通行を許す里道の峠が皆無という特殊なエリアで、日中の交通量がほとんど無いに等しいにも拘らず、主要一桁県道というポストに君臨し続ける路線、それが物見峠だ。我々はこの峠について何も知らないし、さして興味を抱く事もなかった。旧廃道でなければ道路に非ず、その拘りが当該物件を遠避けてきた。しかしこの峠を軽く扱えるのも今日までだ。この峠道無くして今日の黒尾峠は成立し得なかったし、物見峠を無視してこの界隈の交通事情は語れない。黒尾峠から始まる峠物語は右手峠と草の原峠を経ていよいよ最終章を迎える。道路の現況に囚われない歴史道の真髄を御覧頂こう。 |
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◆起点となる国道53号線と県道6号線の交点 津山市街地を抜け出し北東に向け舵を切る国道53号線は、因美線の高野駅を過ぎた辺りで一時的に真北へと矛先を向ける。視界前方に待つ案内板には、直進の路と右に折れ曲がる路との交点が示されている。今更ながら僕はその交差点の線形に違和感を覚えた。 これまでに幾度となく行き来した庭のような場所で、通い慣れたその交点を特に意識した事はない。しかし今回は今まで気にも留めなかった事が不思議なくらいに、はっきりと線形の歪さを認識した。何故か?それは目前の交差点がターゲットの起終点に相当するからだ。 |
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◆擦れたラインがかつては直進が本線であったと主張する 遠目から直感的に不自然さを感じた通り、交差点には大幅な地形改変が成された痕跡が認められた。現在は四輪の進入不可の仕様に改められ、歩行者専用の通路と立派な花壇の組み合わせによって車両の進入を阻止しているが、その昔は直進が本線であったのだと道路脇の擦れたライン跡は語る。 津山方面からやってきた車両は、今でこそローソンの正面を通り過ぎると半強制的に右カーブへと誘導され、本線から離脱したければ意識して左折車線へと進入する必要がある。しかしかつての線形はドライバーが特に意識しなければ直進するのが当然で、加茂川沿いに北上する路が優位であったと線形は訴える。 |
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◆県道は国道53号線と対を成す二車線の快走路 花壇の先には何事も無かったかのように二車線の路が続いており、前後が意図的に断ち切られたかのような格好をしているが、擦れた分離帯跡をまさにそれが事実である事を物語っていて、、広域農道と合流した直後に加茂川を跨ぐ現コースは、後年に設けられた新設路線である事が分かる。 事実現国道の新桜橋と並走するように旧橋が加茂川を一跨ぎしている。新桜橋の150m下流を渡るのが一時代前まで主役を務めた桜橋で、そいつが国道53号線の旧道である事を疑う余地はない。かつての国道筋は大凡国道らしからぬ狭い路地を掻い潜り、ひょろひょろとした道程で旧橋に至る。 |
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◆歩道と花壇で大幅な地形改変が成された野村交差点 その過程は現在の国道53号線とは似ても似つかぬ貧相な規格で、かつて交差点を直進していたであろう二車線の快走路に遠く及ばない。野村交差点で二手に分かれる路は甲乙付け難い規格にあるが、国道53号線の旧道筋は一時代前というか前時代的な醜態を晒している。 一瞬ではあるが大型車と歩行者の擦れ違いさえ危うい箇所を含む狭隘路は、交点を直進する快走路に逆立ちしたって敵わない。今でこそ国道53号線は陰陽連絡線の代名詞的路線ではあるけれど、一時代前のライバルとの関係性がどうだったのかは非常に怪しいものがある。 |
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◆歩道付の二車線快走路は国道と何等遜色ない規格 野村交差点を起点とするこの快走路が、いつ頃現在のように改められたのかは定かでないが、はっきりしているのはほとんど往時と変わらぬ状態を維持する国道53号線旧道筋との単純比較に於いて、加茂川沿いに北上する路は圧倒的優位性を誇っているという事だ。 国道53号線旧道筋と現役路線との単純比較が正確を期していない事は重々承知している。それでも尚旧道筋との比較に拘るのは、野村で分離する二つの路がかつてはパワーバランスが拮抗していた、或いは直進の路が優勢であった時代があったのではないかという疑いがあるからだ。 |
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◆県道6号線は因美線と並走する形で北上する 現時点でそれは唯の憶測に過ぎない。黒尾峠越えの路が主役である事は、ドライバーのプロアマ問わず誰もが認めるところである。しかし僕はそこに敢えて一石を投じたい。国道53号線は主要国道に成るべくして成ったのではなく、たまたま国道の仲間入りを果たしただけではないのかと。 偶然の産物とまでは言わない。しかしそれに近い要素を多分に含んでいるのではないか。裏を返せば物見峠が国道であってもおかしくはなく、国道53号線が物見トンネルを中心とする北寄りルートを辿っていたとしても何等不思議でないと僕は考えている。その根拠として因美線の経路が挙げられる。 |
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◆美作滝尾駅の手前で県道は新旧道の二手に分かれる 智頭急行鉄道が開業するまでこの界隈の公共交通は因美線が主導権を握り、ライバル不在の鉄道路線は岡山⇔鳥取間に於いて不動の地位を確立する。その因美線が最大の障壁と見立てたのが物見峠で、当時の国策でもあった鉄道ルートの矛先は、黒尾峠ではなく物見峠へと向けられた。 第一の根拠、それは鉄道の経路が物見峠を経由している点で、鉄道省が支持した峠を越す車道が主役になる事は驚くに値せず、むしろ至極当然の成り行きであるとも言える。だが実際問題として物見峠は出世レースから脱落した。 物見峠2へ進む |